遅れ先立つほどへずもがな

  きらきら輝き覚えた 君を見上げるように

手紙とブログ ~平岡海月さんのブログからの連想~

今日は朝から平岡海月さんのブログがUPされています。
それを読んで初めて彼女のブログの句読点の使い方に気づきました。
1.句点は文の終わりに正しく打つ。ただし絵文字や記号(「!」や「?」など)が文の末尾に来たときはそれらが句点の代わりになる
 文の最後が「、、」で終わっているのは論外で、文が終了しているのならば、しかも続く文章が改行された先にあるか、その文のあとに一行以上の空白行を伴っていれば当然前の文の最後は句点になってしかるべきです。これを読点で終わらせていたり、何も明示せずに終わらせるのは、読者からすると多少不安な気持ちになります。その点、海月さんの文章は文の終わりの処理が統一されていて心地よい読後感を得られます。文の末尾に句点を打たないというのは、詩文ではありがちですが、それならそれで統一するのが安定的な文章と言えるでしょう。
2.読点は必要最小限しか用いられない
 そもそも読点は一文のなかで一息つくところや、読点がない場合係りが不明瞭になる場合のみに打つべきであり、読点の多用は読者の読解能力を見くびっている証左です。読者には学識があることを前提に文章を構成しなければ、ばかに向かって文章を書いていることになってしまう。手紙に一切句読点を打たないのが礼儀なのは上の理由のためです。ブログは手紙なのか、ビジネス文書なのか、はたまた詩文なのか、より新進的な芸術作品の表現様式なのかという目的や存在意義の問題がありますので、一概に決めつけることはできません。私は手紙とビジネス文書の両方の正確を併せ持つものと理解しています。でもときどき詩文もありますよね。久保史緒里さんのものや古くは若月佑美さんのものとか。
3.空白行は多くはない
 複数の文から構成される段落が存在します。ただ、段落間には一行ないし三行程度の空白行が存在します。私は段落間には極力空白行は用いない流儀ですが、画面上の読みやすさや話題の転換の度合いの大きさの表現として利用することに否定的ではありません。もっともこれはやや行間に意味を込めすぎのきらいがあるように感じます。平文(plain text)ならCRまたはCR+LFの2バイトで、HTMLなら数バイトで空白行を表現することができる現代ならではの表現であり、紙の媒体ならそれだけ紙面を専有し、コストアップになってしまうので使われないかもしれないものです。もっともだからといって、何十行にもわたる空白行を入れるブログは私の中では論外であることは間違いありません。(「間違え」派の人はここで「間違えありません」と書くのでしょうか)
それにしても本日の「東京やなぁ」には東京出身者でなくて東京在住経験のある私としては共感するところが多いようです。私は住み始めた当初全員が見知らぬ人というような人間関係が大いに奇異に感じられました。当然小さなコミュニティはあるのでしょうけれど、基本的によそ者の集合体ですね。

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