遅れ先立つほどへずもがな

  きらきら輝き覚えた 君を見上げるように

高等教育の社会的価値

高等教育というと高校以上なのかと思っていたら、大学以上(文部科学省の資料によると大学、短期大学、高等専門学校、専門学校が対象)なのですね。
大学教育の効用は個人的なメリットと社会的なメリット(外部経済)があるようです。当然ながら高等教育無償化は社会的メリットに対して要する費用がどうなのかで判断されるのでしょう。ググって出てきた2~3の資料(笑)を読むといずれも社会的効用>費用ということでした。専門家ではない素人一般人である私個人の感覚で言えばむしろその逆のように感じられます。
高齢者の雇用継続により社会的な労働者の不足を補うというのもひとつの考えであるとは思うものの、それよりは効用に劣る進学している学生を、中学卒業ないしは高校卒業時点で労働者として組み込む方が現在も将来も効果的なように思います。
無償化の条件として上記効用の関係が卒業までに見込まれる学生のみとし、そこから漏れる場合は所要の費用は直接本人から事後的に回収するというスキームでもいいかもしれません。その場合、効用の見込みの評価は実際問題として難しいので、このブログでも何度か説明したことがある「最低学力テスト」+「共通卒業検定」をその条件とする必要があるように思います。
身体障碍者(それに準ずる疾病等も含む)や進学してからの怪我・疾病の発症により途中で条件を満たさなくなった場合はどうするかを決めておけばより望ましい制度になるのではないでしょうか。(社会福祉の観点から無償継続かつ障害の程度に応じた評価尺度変更により継続的に高等教育が受けられることが望ましく思います。)
無条件に高等教育を無償化する制度には反対です。
ちなみに無償化する場合でも、今後は知的労働はAIに、肉体労働はロボットに、単純作業はその両方によりすべてが代替される可能性も考えて、それよりも効率的な結果を出せる職種で活躍できる人材に限って無償化されるような制度設計を望みます。

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