遅れ先立つほどへずもがな

  きらきら輝き覚えた 君を見上げるように

健康で文化的な生活と営業の自由のプライオリティ

どこかの国の島の火事で多くの家が焼き払われ人的被害も大きくなっているその場所で海水浴をしている奴がいるのはけしからんというニュースを見ました。でもこれは観光に来た人には何の責任も関係も良心の呵責もなくて、観光地に観光に来て泳いでいるだけであり、そこで亡くなったり被害を受けた人がいるからと言って遠慮しなくてはならないことにはならないでしょう。
一方で例えば我が国では京都や鎌倉を初めとするいわゆる観光客にとっての観光地で、公共交通機関が麻痺状態になったり、通行すらままならない生活上の困難が発生しても、地元で生活している人びとが保護される気配がないという問題もあります。
大量にやってくる観光客に対する商売で生計を立てている(濡れ手に粟で儲けている)人にとっては、それを規制するようなルールができてしまっては都合が悪いので、営業の自由を尊重し、健康で文化的な生活を送る権利はその最低ラインは保証されていることにすれば(混雑や観光客の迷惑行為があっても生活できないわけではない程度に生活ができているということにすれば)これが本来の姿であるという主張は彼らにとって正当性があるようにも感じます。難しいところです。
そこで仮に、その営業の自由が、地元の人びとの本来の健康で文化的な生活のレベルを著しく低下させているのであれば、解決のために憲法に定められた権利間の調整をするより、例えば日本に入国する者には一人当たり入国一回毎に145万円(円の価値は下がることが予想されるので1万米ドル相当として変動制とする)程度を徴収することにすれば問題はかなり改善するかもしれません。ただ、外国人と日本人の間に差別があってはならないので、これは居住地、国籍、人種、社会的経緯の有無、難民であるか否かを問わず一律に負担させることにする必要があるでしょう。
観光客による被害について文句を言っている暇があったら、このような主張をする政党なり候補者に投票するというのがいいのではないでしょうか。利害関係を調整するよりよほど簡単なような気がします。

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