遅れ先立つほどへずもがな

  きらきら輝き覚えた 君を見上げるように

同じだけれど別のもの

YoutubeにCrosSingというのがありますね。
今日竹達彩奈さんの「irony」(ClariS)を聴いて、これは同じ歌だけれどまったく別ものだと感じました。これ程歌う人によって違うのかと、ある意味感動しました。
竹達彩奈さんのCDを確か一枚持っていたはずですが、あまり印象が残っておらず今まで不勉強でした。片やClariSはほぼすべての作品(アルバム)を持っており完璧です(本当か?)ので、それとの違いがよくわかりました。どちらがいいかという比較ではなく、どちらもいいけれどベクトルが違いますね。
同じだけれど別ということでは、分野違いのクラシックでも最近感じました。
わが家にはイ・ムジチ演奏のヴィヴァルディの「四季」は、家内の持ち物である1959年収録(ステレオ録音)のアーヨ盤(CD)と私の持ち物である1969年収録のミケルッチ盤(LP)があります。先日普段あまり動かしていないレコードプレーヤの点検も兼ねてミケルッチ盤を聴いていたのですが、アーヨ盤も掛けて聴き比べをしてみました。私が最初に聴いたのがミケルッチ盤であるからなのか、全体としての収まりはミケルッチ盤の方がいいように感じました。
しかし私はバッハの無伴奏バイオリンソナタとパルティータではアーヨの演奏が至高であると考えています。ソロとしての演奏と合奏では異なるのかもしれないとミケルッチ演奏のソナタ&パルティータも聴いてみました。はたして、イ・ムジチとの合奏では目立ち過ぎたアーヨが独奏では私には好ましく感じられました。(アーヨ盤もミケルッチ盤も家内の持ち物)
これらは先ほどのironyとは違ってどちらが好きかという比較ですが、同じ演奏家うしの比較でも違うというのが面白いですね。
先の乃木坂46の11th YEAR BIRTHDAY LIVEでは期別出演の日がありました。参加も配信視聴もしていないので中身は把握していませんが、3期生加入以前の曲は1期生あるいは1期生+2期生のもの(2期生単独の曲は「ボーダー」しかないはず)と同じだったのでしょうか。違ったのでしょうか。やはりこの目と耳で確かめておく必要がありそうです。

(3,029)